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国見峠(くにみとうげ)は、岩手県岩手郡雫石町と秋田県仙北市を結ぶ奥羽山脈上の峠である。笹森山の南稜線上にあり、標高は940m〔「角川日本地名大辞典 5 岩手県」p.302『国見峠』。〕。 == 地理・歴史 == === 古代・中世 === 「国見峠」の名は国境の意と考えられるが、古くは「生保内峠」「遠保内峠」「産内山峠」とも呼ばれていた〔「秋田県文化財調査報告書第一四三集 歴史の道調査報告X 生保内街道」pp.11-12。〕。古来から北上盆地と仙北平野(横手盆地の北部)の東西路は通じており、続日本紀(780年(宝亀11年)12月10日)に石澤道(国見峠)の表記がある。 生保内では、坂上田村麻呂によって開かれたという伝説や、前九年の役の安倍貞任征伐の時に源義家の軍勢が金沢柵を出発し、近道を通るためここを切り開いて岩手郡厨川(盛岡市)に攻め入ったという伝説があり〔〔、それまでの玉川を通り焼山越えをする街道筋がすたれ、生保内口が本街道になった〔あきた(秋田県広報誌)通巻190号、1978年(昭和53年)3月1日発行 〕。 吾妻鏡には、奥州征伐において 1189年(文治5年)9月4日、 源頼朝が志波郡陣ヶ岡(紫波郡紫波町)蜂社に布陣したさい、北陸道追討使の比企能員・宇佐美実政らが出羽国の敵を討ち平らげて合流したとある。 奥羽永慶軍記には、1587年(天正15年)南部氏の重臣・北信愛が、南部信直の命で、豊臣秀吉へのとりなしを頼むために加賀の前田家を頼って、産内山(国見峠)を越えた記述がある〔「秋田県文化財調査報告書第一四三集 歴史の道調査報告X 生保内街道」p.3。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国見峠 (岩手県・秋田県)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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